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Posted by ミリタリーブログ  at 

2014年03月08日

グロック・トリビア



あなたが知らない10のグロック秘話

 あなたがポリマー・フレイムのGガンを愛して持ち歩き、たまにレンジに持ち込むのが好きなのは確かだ。あなたは銃・火器のウラ・オモテに詳しいかもしれないが、あなたが知らないグロック・トリビアがある。
 あまり知られていない10の小ネタをお伝えしようと思う。あなたの、そして私達の好む、モダン・セフティ・アクション・ピストルについてだ。これらの事実に似た情報の多くは、件の銃に関するポール・バレットの注目作のページを飾ったものである。グロック:ザ・ライズ・オブ・アメリカズ・ガン。

1.その第一号ハンドガンをデザインするにあたって、ミスター・グロックはワルサーP-38ミリタリー・ピストルを2週間、ズボンのポケットに入れて携行していた。これが彼の銃のサーフェス・コントロールが最小限に抑えられた事につながった。というのは、彼のダブル/シングル・アクションのワルサーがセフティ状態であるか否か、彼は覚えていられなかったからだ。

2.グロックは1984年のUS・アーミー・ピストル・トライアルに彼の銃を送るよう招待された。ライバルはコルト、S&W、SIG、その他、由緒ある1911に取って代わる、US・ミリタリーの次なるサービス・ピストルとなるものである。グロックはその数を少なくした。なぜなら、彼はトライアルの時間中に他の35ものテスト・ガンのスペックを調べる時間を思いつかなかったからだ。このトライアルの結果、ベレッタm92が採用されM9としてミリタリーのスタンダード・イシュー・ハンドガンとなった。

3.ガストン・グロックはナチュラリストであり、朝の水泳を欠かさない。オーストリアの彼の家の近くの、霜で鼻がかじかむ様な、ほとんど凍った湖でもしばしば泳いでいる。

4.グロック社のオーストリア・ミリタリーへの最初の製品はサバイバル・ナイフであり、銃ではなかった。

5.ポリマー・フレイム・ピストルとして最初に成功したグロック17は、1980年から1982年の間にガストン・グロックによって設計されたものである。グロック・ピストルの名前は、その17発マガジンから来ているのではなく、ガストン・グロックが17の特許取得意匠を施している所から来ている。彼のそれまでの発明は台所用品からカーテン・ロッドの改善にまでわたる。

6.グロックと外見が似ている事から、しばしばジョークで「Swock」と呼ばれるS&Wのシグマだが、新しくS&W社のCEOとなったスティーブ・メルビンによって世に送り出された。1991年に彼はデザイン・チームに「グロックより良いハンドガンが作れないなら、コピーしてしまえ!」と言った。この銃はグロック社により、特許侵害で訴訟を起こされる事になった。

7.グロックはモデル25および28を製作した。これはグロック社の380口径として、この年までで2つしかないものである。これは市民がこれ以上の銃を所有できない南アメリカ(メキシコ、アルゼンチンその他)でのセールスに特化したものである。

8.開発者は奇妙な事件に巻き込まれ、ヨーロッパで襲われた事がある。元フランス外人部隊の若者がヒットマンとなって駐車場にいた彼をハンマーで襲ったのである。その当時、70歳だったけれどもグロックは血まみれになりながら、素手で若い襲撃者をノックアウトした。(グロックでの撃ち合いにハンマーを持ち出さないように。)

9.ドイツ語はグロック社のエグゼクティブ・オフィスに於いて、しばしば第一言語である。これはサテライト・オフィスであるジョージア州スミルナでも同様である。

10.デンマーク・ミリタリーのエリート・コマンド達は、グリーンランドの北極圏に「シリアス・スレッジ・パトロール」として配属される。彼らはその極寒の地でも使用に耐えうる機能を持った兵器を使わなくてはならない。彼らの選択は:30.06レミントン・エンフィールドP17ライフルと10mmのグロック・モデル20ピストルだ。

(海外サイトより転載)













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Posted by WERTY  at 07:31Comments(0)ガンハンドリング