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Posted by ミリタリーブログ  at 

2017年02月01日

切裂き魔に遭遇

1つでも救えればその価値はある


それは、ある9月の早い朝の事でした。おそらく6時位でした。私は仕事へ向かういつもの道を歩いていました。その道は目を覚ますのにとても良い道でした。私はそこで朝日を見るのです。私は22歳でした。大学を卒業し料理学校の先生として働いていましたが、朝のシフトは大変でした。

当時の私のボーイフレンドは21歳になると同時に、銃に興味を持つようになりました。そういうわけで私たちはコンシールドキャリーの許可を得るテストを受ける前に、銃を買い求め練習を始めました。それ以来私はどこに行くにも銃を携行していました。携行所持の許可を得てからは、それを無駄にしたくなかったのです。彼は私たちの新しい趣味を大いに楽しみ、私を勇気づけてくれました。しかしその時私がするべき事は、小さなベルトクリップに下げられた安物のKel-tecが、最初の1発を発射した後にジャミングしがちなことに気を遣うべきでした。当時の私たち2人とも、ジャミングで薬莢の詰まった故障をすぐさま解除すべきだと言うことを理解するのに十分な経験がありませんでした。

その朝仕事に向かって歩いている時も私はキャリーしていました。川に沿って残り100ヤードほどのところで私はぼーっとなってしまいました。その夜の早い時間には誰も外にいませんでした。私の目の前には何も動くものがなく、私は上を見上げました。1人の太った中年のヒスパニック系の男性が、サイドウォークの中程に立って30フィートほどの距離から私を見ていました。彼がどこから来たのか私は見ていなかったし、しかし彼はそこにいたのです。私は立ち止まって、私の足に何万ポンドもの重りを取り付けられたような気がしました。彼が何を求めているのか私にはわかりませんでした。しかし彼の表情からは何か良くないものが感じられました。よくわかりませんでしたが、彼はもっと近くに来いと訴えているようでした。私は素早くステップバックし、走って彼から逃げることができるか考えました。しかし彼に背中を見せて逃げることは恐ろしかったのです。

彼はどこからかナイフを引き抜いて私に、一緒に来い、と言いました。私は答えませんでした。まるで体が凍ったように感じられ、私の心は事態を理解しようと忙しく働きました。彼は病気なのか?何かの冗談なのか?彼は前に小さく一歩を踏み出しました。ナイフは最初に見たときより二倍にも大きく見えました。その時私はズボンのベルトに私の銃をぶら下げていることを突然思い出したのです。私はいつも銃を身に付けていることに慣れきっていて、そこにあることを忘れていたのでした。

彼がもう1歩前に踏み出した時、私は銃を手に取りました。そして正面に突きつけて、トリガーに指をかけて彼にこう言いました、あなたと一緒にどこにも行かないと。混乱した言葉や、明らかにバチ当たりな表現が口をついて出ました。私は死ぬのが怖かった、しかしそれは彼によってではなかった。私が実際に銃を必要とし、一発目をしくじったら二発目は信用できないことが恐ろしかった。ジャミング起こせばそれをクリアしている間に彼が私を捕まえるんのはわけもないことだ。私はしくじるわけにいかなかったので、彼が襲いかかってくるのを待った。私はもうちょっとましな銃を買うべきだったとか、ジャム解除について理解する時間を取らなかったことについて、自分に腹が立ってしょうがなかった。

彼は進むのをやめ、長い時間そこに立っていた。そして私は、彼がズボンに尿を漏らしていることに気がついた。そして私自身もズボンに尿を漏らしていることに気がついてイライラした。彼は振り返って川岸のサイドウォークを降りていていった。私はしばらくそこに立っていて、銃を構えていることに気がついた。腰のベルトに銃を戻し、仕事に向かって歩き始めるよう自分に言いきかせた。私は見るからに疲れていたのだろう、ボスは私を見るなり変化に気がついた。私は川で起こったことを彼に話した。彼が信じないだろうと思っていた、そして家に帰りたかった。スタッフメンバーの1人が私を家に車で送ってくれた。私は銃から弾を抜き、そばに置いた。そしてすべてのことが、本当のことではなかったんだと自分に言い聞かせる一日が始まった。過剰防衛だったか?誰かが私の銃を構えている姿を見て、警察に通報しただろうか?

私は警察を呼んで、何が起こったかを話す気にはならなかった。その朝仕事に向かおうとして、川に架かる橋を渡った時、私は州をまたいだのだ。may グラントの州からshall グラントの州へ。誰か私を牢屋にブチ込むだろうか?誰もそんな事はしない。

ストーリーはここで終わりではない。

私の出来事から6か8週間経ってから本当の悲劇が発生した。あのナイフの場所で私と同じ位の若い女性が誘拐されたのだ。私は自分に起こったことをうまく忘れることができていたので、12月に犯人が捕まってテレビでその顔を見るまでは私に関係あると思わなかった。その時私の食べたものがすべてひっくり返ったようだった。私が仕事に向かう途中私を誘拐しようとして失敗したあの男は、別の女性を誘拐することに成功した。彼は秘密の隠れ家をもっていて、繰り返し女性をレイプしてはナイフで傷つけていた。そして頭にポリ袋をかぶせるのだ。喉を切り裂き、警察が来る前に彼女を雪に隠れた排水溝に投げ捨てるのだ。

とりとめのない私の話を終えて、事件の前よりも私のブログに対するアンチ・ガン・センチメンタルの反応は大きくなった。ワクワクするような安堵感がやってきた。この話を人々にする度に、安堵感が得られ、勇気付けられる。私はそれまでのターゲットシューティングの替わりに銃訓練クラスを受講し、私が良いと思うトレーナーから個人インストラクションを受けるようになった。彼は競技シューティングを始め、インストラクターになるよう私を勇気付けた。ことわざにある通りだ。「一つでも救えれば、その価値はある」  


Posted by WERTY  at 05:46Comments(0)銃社会